お金がなくてもあなたの生存を支えるABC資産

FIREの先駆けとなった本、『お金か人生か』(原題 : Your Money Your Life)を再読している。

第8章で紹介される お金(通貨)がなくてもあなたの生きる助けになるABC資産 という考え方がすごくいいな、こう言う方向に自分も基盤を作っていきたいなと思わされる内容だったのでメモに残しておく。

お金がなくてもアクセス可能な3つのABC資産

1.能力(Ability)

→必要な時にもう一度、お金を稼ぐためのスキル as 人的資本
→やりたいことにレバレッジをかけたり、自由や選択肢を増やす
→他者に貢献するための手段を増やす

2.近しい人(Belongings)

→助けが必要な時に、頼ることのできる人
→それをささえる絆とそのための接触の頻度

3.コミュニティ(Community)

→お金を使わなくても得られるもの
 →相互扶助ネットワーク、シェアリングエコノミー
 →住むとエリア、都市、そこにある自然や図書館などの公共インフラ

質素に暮らせばマイペースに生きられる、豪華に生きたいなら誰かをもてなす必要がある

どういう風に生きたいのか?を考える時の、参考になりそうな寓話と感じたのでメモ。生活費を最小化して自由に生きるというのは僧侶(monk)寄りの生き方に思う。

つまり、この話のポイントは、

たくさんのお金が使える生活と、お金以外のことが自分の自由になる生活どっちがあなたにとって価値がある?

というあたりなんだと思う。

寓話 : 大臣と僧侶

The other thing I quickly figured out is that financial independence is at least as much about being able to live modestly as it is about cash. Here’s my favorite parable:
Two close boyhood friends grow up and go their separate ways. One becomes a humble monk, the other a rich and powerful minister to the king. Years later they meet. As they catch up, the minister (in his fine robes) takes pity on the thin, shabby monk. Seeking to help, he says:

“You know, if you could learn to cater to the king you wouldn’t have to live on rice and beans .”

To which the monk replies:

If you could learn to live on rice and beans you wouldn’t have to cater to the king .”

参考

バフェットが幼い頃から金持ちを目指したのは、他人にあれこれ指図されることなく、自分の人生を生きたかったからだ。「自分のために働くのが一番」とバフェットは答えた

『1分間バフェット』

私は他人のために働くことが大嫌いだった。私の仕事は、私が不安に感じる考えを克服することに関わるものだ。私自身が理解したこと、または理解できないことさえあれば、いつでも仕事ができる。

『それは情報ではない』

PC回りの配線のチューニング

以下の動画および記事に刺激を受け*1、デスク下のPC回りの配線を少しやり直した。こういうコツコツ系のチューニングは好きなので、どんどん手を入れていきたい。

デスクトップPCの背面のUSBポートが1口不足していたので、拡張アダプタ的なものを買った。届いたらやむなく全面のUSBポートに回していたケーブルを背面に移設したい。

追記 : ケーブルを吊り下げてみた

キャンドゥで良さそうな吊り下げフックがあったので、試しに電源ケーブルを1本吊り下げてみた。美観と保守性のバランスがよさそうなので、しばらくこれで運用してみる。

*1:保守性を損なわずに美観をよくするという思想が素晴らしいと思う。極めて実用的。

ラゲッジスケールを買ってみた

書籍『超ミニマル主義』に影響されて、カバンの重さを軽くするべくラゲッジスケールを買ってみた。カバンの重さを計りつつ、グラム単位で軽量化を進めていきたい。

余白の埋め方を間違えてはいけない

諸事情あり、比較的可処分時間に余裕のある状況だが、だからこそ、安直に間違った方法で余白を埋めようとしてはいけないと思う。

1日の可処分時間がどれくらいあると人は幸せになれるのか?と言う話題は開く研究されていて、要点としては可処分時間が少なくすぎても多すぎても人はそこにストレスを感じるらしい。

そう言う意味で、やることことが少なく可処分時間が大量にある状況は一定のストレスを人に与える。1日に使えるお金が少なくて、人に会う機会も少ないと尚更だ。

サラリーマンとして雇用され働く事は、そこの隙間を適切に埋めてくれる。でも、易きに流れてはいけないと思う。

理由は2つある。

1つ目の理由は、それが自分の2-3年スパンの勝利条件に寄与しないという事だ。働くことに時間を使いすぎると、試行錯誤の回数を稼ぐことに十分なリソースが回せなくなる。それは避けたい。

2つ目の理由は、サラリーマンとしての労働には残存価値がないからだ。それでは、エフェメラルな仕組み構築につながらず、時間の経過に従ってより良くなっていくことが難しい。

だから、余白の埋め方についてはしっかり考えたい。

午前中は上の空でいたい

午前中は上の空でいたい。実務的なことやタスク管理に追われるのではなくて、自分にとって意味のあることをしっかり考えて、そこから自分にとって重要な気づきや発見を得たい。だから何か人と会う予定を入れたくないし、To Doを持ちたくもない。

多分自分にとっては考えることの重要度っていうのがすごく高いんだろう。自分の見る世界は自分の認知のメガネに制約をされている。そして、それをアップデートすることでしか自分はよりよく世界を見ることができない。

だから、たくさん本を読んで人と話して考えたことをメモに書き留め、ちょっとずつ自分の持っているメガネをアップデートしていきたい。そこに自分のエネルギーを集中させたい。

まだまだ知らないことがたくさんあって、読みたい本がたくさんあって、探索したい事はたくさんある。中年になったから、人生に新しいものはなくて、ミドルエイジクライシスで、何もかもがつまらないなんて事は全然思わない。残りの人生の時間を全て費やしても、全部は掴み取れないだろうと思う。だけど、それでよくて掴み取ろうとする過程が実りあるものであると言う直感がある。

そんな感じで、世の中の現実からはちょっと遠ざかって、不安の空で他人事で自分や世界を眺めていたい。そういうふうに思う。

同じような感覚で今日だったり1ヶ月後のことを考えるよりは、2年後や3年後のことをボケーと考えているような毎日になったらなと思う。

※足元の状況で言うと、2025年のキャッシュフローはだいぶ見えてきたので、2026年の家計計画に集中して取り組みたい気持ちがある。

そのためには足元の安定性っていうのがすごく大事なので、まずはやはりきちんとした土台を作ることが大事なのかなとも考える。